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2013年2月19日火曜日

★【「赤いろうそくと人魚」完成記念発表会&トークイベント】レポ★“その1”

皆さまこんにちは♪
スタッフ、メケコです。
まだまだ、寒い日が続きますね~。
少しづつではありますが、日が長くなってきたようで、
もう少し暖かくなると良いなぁー。と、館長の長崎み
やげカステラをほおばりながら思っているしだいです。モグモグ・・・。
まだ、寒いですので、皆さんも風邪などをひかないようにご自愛ください!

さて、先日2月11日(月・祝)は、建国記念日で
お休みでした。お休みできた方は「3連休!」という
素晴らしい週末でありました。おめでとう!
3連休なんてなかった・・・!という方、お仲間ですな♪

そんな連休の最終日に杉並アニメーションミュージアムでは小林七郎展(アニメーション美術監督小林七郎展‐空気を描く美術‐)の目玉イベント・・・
小林七郎さんご本人をお招きしての【「赤いろうそくと人魚」完成記念発表会&トークイベント】が開催されました!ワー!パチパチ!
おかげさまで、イベント当日は沢山の方に
ご来場いただきました。ありがとうございます!

小川未明原作の「赤い蝋燭と人魚」を小林七郎さん
が映像絵本にした「赤いろうそくと人魚」。
当館に展示された小林七郎さんの原画を見ながら、
完成を心待ちにしていた方も沢山いらっしゃるのではないでしょうか?

それでは、イベント当日の様子などを少々、こちらのスタッフ日誌で
ご紹介させていただきます!
が、その前に、そもそも「赤い蝋燭と人魚」とはなんだろう?
という方へ、「赤い蝋燭と人魚」についての基本情報を
少しだけ、ご紹介いたします。
イベントの様子が知りたい方は飛ばし読みしていただいてかまいませんよー。


■赤い蝋燭と人魚について■

「赤い蝋燭と人魚」は童話作家・小川未明(明治15年~昭和36年)が
1921年(大正10年)に発表した創作童話です。
北の海に住んでいる人魚は、暖かな人間の住む世界に憧れ、産んだ
赤ん坊人魚を人間に拾われるようにと、神社の下に置いてゆきました。
しばらくすると、そこへ、おばあさんが神社のお参りにやってきて、
人魚の赤ん坊を家へと連れて帰りました。
蝋燭屋のおじいさんとおばあさんは、拾った人魚の赤ん坊を大事に
育てることにしました。
人魚の子どもはすくすくと育ち、美しい娘になります。
人魚の娘は、人間と姿が異なるので、人目に触れないように日々を
過ごしておりました。やがて、人魚の娘は蝋燭屋の老夫婦を助けようと
蝋燭に絵を描きはじめます。
娘が絵を描いた蝋燭。その蝋燭の燃えさしを持っていると水難に遭わない。
と、たちまち評判になるのですが・・・。

というようなお話しです。
小川未明は早稲田大学在学中に坪内逍遥や小泉八雲(パトリック・
ラフカディオ・ハーン)から指導を受け、後に多くの童話を書き残し、「日本の
アンデルセン」とも呼ばれるようになった人物です。


■小林七郎さんイベント■レポ1

イベントでは「赤い蝋燭と人魚」の物語と小林七郎さんの出会いも語られました。
今回のイベントは小林七郎さんの作品上映発表会をかねたトークイベント
でしたので、プロジェクターの映り具合などが心配でしたが、
イベント3日前に工事が入り、プロジェクターが真新しいものと
取り替えられたのです!映し出される映像のなんと、クリアなこと・・・!
それまでは、古いプロジェクターでなんとか上映していたのですが、
やはり画面の綺麗さが違いますね!
画面の綺麗さが文章ではなかなかお伝えしきれないのが残念です。
違いは是非、当館のアニメシアターで体感してみてください・・・!
ちなみに今まで、頑張ってくれたご老体のプロジェクターは今後、
何かに利用する予定でおります。まだまだ使いますよ!
話がイベントから少しずれてしまいましたが、そんな訳で、新しい
プロジェクターを使って小林七郎さんの「赤いろうそくと人魚」を
皆さまにお届けできるはこびとなりました。

イベントでは、司会の挨拶もそこそこに、小林七郎さんにご登場いただき、
まずは小林さんについて。そして、小林七郎さんの美術への興味は
いつ頃から、どのようにして芽生えていったのか?など、
様々な質問に答えて頂きました!
それでは、その様子を少しだけお伝えします。


とてもお元気な小林七郎さん!

小林七郎さんは第2次世界大戦に突入する少し前、兄弟の末っ子として
北海道で産まれたそうです。

司  会 :記憶の中で一番最初に書いたものは?

小林さん:ええとね、あれは確かまだ小学校にも入っていなかった頃だと
      思います。冬でストーブか何かありまして、犬か猫か、
      何か描いてましたね。
      それを兄弟や親がほめてくれる。そのうちに田舎で寒い
      地域ですからね、通りがかりのおじさん、おばさんが手を
      温めに寄って、お茶を飲みながら絵を見て褒めてくれるんですね。
      まわりに褒めてもらえることが励みであったことは間違いないです。

司  会 :もう1つ上の段階へいったと思った瞬間はいつ?

小林さん:学校へ行くようになりまして、まだ日本は戦争中で、
      戦意高揚の時代で、美術的な風潮はきわめて薄かったのですけれど、
      図画の時間に描いた絵なんかが貼り出されたりして、周りのものと
      自分のものとを比較できるチャンスに恵まれまして、それがエスカレート
      していくことになりますね。

司  会 :褒められて沢山、描くようになったのですね。

小林さん:やたらに描きまくっているわけですよ。そうするとね、
      親が自慢げに見せて回るんですよ、そうしたら町中で目立った
      存在になっていってしまったんです。

司  会 :じゃあ結構有名だったのですね!

小林さん:そのうち日本が戦争に負けまして、姉がたまたま東京に居た
      ものですから、じゃあ、せめて末っ子だけでも勉学の機会を与えようと、
      焼け野原の東京へ連れて行ってくれたんです。
      東京へ出てきた中でもやはり、自分がずば抜けて上手かったので、
      比較されることで、自信・・・まぁ、ちっぽけな自信ですけれどもね。
      調子に乗っていったようですね。だからまぁ、お調子者ですよね。(笑)
      自分に才能があるかどうか、確かめる方法というのは・・・
      やはり、好きかどうかということなんですよ。
      これは私の考えですけれど、好きかどうか・・・好きであれば、
      限りなく努力や、頑張りが続くはずなんですよ。
      持続性となって、『もう、いいや。』『いや、もっと、もっと。』その
      『もっと、もっと。』が限りなく続くということに“好き”というありかたの
      種類といいますか、あるように思いますね。

司  会 :小さい頃から好きなモノに、幸せにも出会えたという事ですか?

小林さん:うん、そうですね。
      きっかけを与えられた幸せと、あとはそれを続けられた環境、状況の
      おかげですね。

司  会 :絵が大好きで描いていた少年は、美術の先生をし、
      東映動画に入られると。
      その転機というか、きっかけは何だったのでしょう?

小林さん:ともかく絵は描きたい。しかし飯を食わなければいけない。
      どこかでちゃんとした職業を持たなければいけないんですけれども、
      それまでは本当に広い仕事みたいなのをやっておりまして、美術学校を
      出ても定職を持たなかったんです。
      ある時、『絵を描く仕事がある。』ということを知らされまして、
      東映動画の採用試験に応募したわけですが、そこでは、20何人か受けて、
      2、3人受かったようですね。

司  会 :アニメの世界に入られてそこから、背景美術の始まりがある
      んですけれども、今まで描いていた“自分の絵”から、
      “アニメーションの絵”になった時に戸惑いとかありました?

小林さん:ありませんね。
      自分の能力の一番得意な部分。つまり、私等が“描写力”と言っている、
      ごく、普通のリアルな描写力。これが抜群だったんです。
      いや、抜群と言いますか、自分としては得意だったんです。
      ともかく、実際に目に見えるもの、写生ですね。
      犬、猫、まぁ、周りのもの、それから、自然物。手当たり次第に描く。
      それが、限りなく面白かったのですよ。

司  会 :では、もうまさに天職、我が意を得たりという感じだったのですね?

小林さん:そうなのですよ。だから、その延長線上で“アニメの背景”。
      全然抵抗も何も。
      ただ、絵具の塗り方、扱いなどね、そういう制約はありましたけれども。
      私達にとってはどうでもいいことでして、ただ、後々そういったものを
      どんどん否定して打ち破っていくわけですけれどもね。

・・・と、このようにイベントでは、小林七郎さんから日誌に書ききれないくらい
の大変興味深いお話しを沢山聞かせて頂きました。
この後には、小林七郎さんが美術背景を担当したアニメーション「ガンバの冒険」、「家なき子」
のショートムービーが上映されました。
上映後には、佐々木さんとおっしゃるフリーライターで、大学では小林さんの
アシスタントを勤めている方にも壇上に上がって頂いて、小林さんには更に
深いお話しをして頂きました。
そして、話はいよいよ、「赤いろうそくと人魚」に移りました。
“その2”に続く

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